鍵と錠

濡れている窓を見て、雨の存在に気づく。
また、音もなく世界がゆっくりと濡れていく。

ある本にこんなことが書いてあった。
「言葉は情報を伝える道具であり、人間関係を円滑にするための道具である」。
「しかし言葉の本質は別のところにある。この世界を認識するために、言葉があるのだ」。
世界を私の言葉で切り取って、私の内側に浸透させていく。
外から見たらそれらは何色で、どのくらいの透明度なのだろう。

まだまだ伝えきれていないことが沢山ある。
例えば忘れてた記憶の欠片とか。
例えばこの世界に流れる時間のこととか。
例えばこの雨の音の心地良さとか。
飾ることも強がることもなく、私の中の感性を、ただ素直に表せるような、
とりとめもない話に、相槌をくれるような、
同じ言葉を共有して、一緒に世界を認識できるような、
いつか、そんな存在になれたらいい。
私がひっそりと見つけた生きる意味を、
私の心に拡がる世界観を、
つたない語彙で紡ぐ物語を、
同じ映画を観るようにわかり合えたらいい。
此処には偶然なんてひとつもないって、
小さな小さな瞬きが表情をこんなにも変えるって、
まだ自信のない私は、
内側に籠って巣から出られない。
どんな言葉を手に入れたら、矢のように真っ直ぐ届くのだろう。

黄昏時、しっとりと濡らした雨が上がったら、
この街はまた少し、秋へと深まっていった。
ただそれだけのことを、
小さく書き記して、
読んでくれるのを、
今日も待っている。