父
奥の洋間には、グランドピアノがあった。
父は時々、照明を落として、薄暗い部屋でウィスキーを片手にジャズを弾いていた。自分で作曲した、切ない4拍子。
幼い私は、なんとなくその部屋に入れなかった。ガラス張りのドアの向こうから、そっと父を見ていた。
それが私と父との最初の記憶だと思う。
時系列が曖昧だが、今となっては原風景になっている。
父はあの時どんなことを考えていたのか。
どんな気持ちだったのか。
今はもう、直接聞くことはできない。
私の中に残る後悔のひとつである。
晩年、周りから、私は父の愛人だと勘違いされていた。それまでの空白を埋めるように、2人だけの時間を過ごした。それでもなお時間は足りなかった。最期を看取ることができなかった私は、取り返しのつかない烙印を押されたようだった。
もっと話せばよかった。
音楽の話がしたかった。
大切な言葉はもっとあるはずだった。
何も言えなかった。
父のお墓に行くまで10年かかった。
それくらい、複雑な想いがあった。
今も時々、父がいないことに愕然とする時がある。もう二度と話せないことに、繰り返す絶望感。大きな存在であることに気づいたのは、後になってからだった。
だから今日も、あの曲を思い出す。
オルゴールのような甘くて愛おしいメロディーを。