今日乗った電車に、蝶が乗っていた。

その蝶は人と人の間に立ち、静かに静止していた。次の駅で、ご老人がそっと蝶を掴んで降ろしてやったら、蝶はひらひらと飛んでいった。急行列車だった電車は、蝶を3駅先まで運んだ。降り立った蝶はベツノセカイで生きていくのだろうか。しかし蝶はまるで、人が化けたかのような優雅な振る舞いだった。あらかじめ下車駅を知っていて、当然そこで降りたかのようだったから、きっと生きていけるだろう。

 

私と蝶は、切っても切り離せない関係だ。

いつか行きたい場所にも、無数の蝶の壁画があるとかないとか、どちらの噂もある。

 

どこかに行きたいのに、いつもブレーキがかかるのはなぜなのか。私はきっとどこへでも行ける。電車に乗れば、どこへでも運んでくれる。大人なのだから、一人で行ける。なのに鎖に繋がれたように足も身体も重い。心と身体は一体なのだと、今更のように気づく。一体なのに、バラバラであることにも気づく。

私は蝶にはなれないのかもしれない。

蜘蛛の巣は既に、自分によって張り巡らされているのかもしれない。

自由に生きたい。

自由に行きたい。

でも空には暗雲が垂れ込めている。

そんな日には、蝶はどのように飛ぶのだろうか。