夜の言葉探し1800

旅行先で購入した写真誌がお気に入りだ。静けさを求めるような夜に、よく眺めている。
私は気に入ったものを何回も見る傾向がある。気に入った写真、気に入った映画、気に入った曲。
執拗かもしれないが、毎回違った観点や気分を味わえるという意味では洞察の探究の一貫であり、同じ安らぎを得られるという点では当たり前でもあると思う。

ピアノを始めて3ヶ月が経った。
地道な基礎を踏みながらも、数曲は弾けるようになった。
最近読んだ本には、音楽を演奏する時の脳科学的特徴や変化の研究について書かれていて、神経細胞の数や発達部位の違い、交感神経の活発化やドーパミンの分泌などについて説明されていた。
要は、ピアノを弾くようになった私の脳内は、たったそれだけでも何かしら変化を遂げているのかもしれない。

自分の感性を養いたい。
感受性を刺激するものを大切にしたい。
不感症な人間ではいたくない。
写真も音楽も本も人も、もっと私の心を掘り起こして震わせて欲しい。
いつもたくさん感じていたい。
もっともっと。
もっとちょうだい。
でもそこは何でもいいわけではなくて、むしろ良質な刺激を与えてくれるものは本当に限られていると思う。
しかし飽くなき渇望は、いつしか飢えに変貌していく。
だから自分の中の暴れ馬を手懐けるように、空っぽの器だけが成長しすぎてしまわないように、静けさで満たす夜が必要だ。なぜなら向上心とハングリー精神は、似ているようで性質が違う気がするからだ。
刺激を与えてくれるものに、同時に安らぎを求める。
矛盾しているようだけれど、そこに本能レベルでのバランス感覚が潜んでいるように思うのだ。
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photo by Bruno Miller