C mollのピアノ線

過去の切り取られた1枚はどれも笑顔だ。
共に騒ぎ、語り、共有した時間を物語る。
しかしその最も輝かしかったであろう時代に私はいない。どんなに探しても見当たらないのだ。だから私はいつまでも共有できないままだ。
そんな過去の積み重ねである今に、悔しくなる。

まるで1人だけ海外にいるようだ。
いつもそこには時間や行動範囲という見えない壁があって、私はその高い塀のこちら側にいる。遠くから聞こえる笑い声を聞きながら、こぼれてしまったパン屑を集める。色褪せてしまった写真を眺め、丘の上の草の匂いを思い出す。大きく息を吸って、静かに、長く静かにゆっくりと吐く。それが、人生でとても大切なことのように、丁寧に。ゆっくりと吐いた息は、想いの縮図のように空気中を彷徨う。

肝心なのはこちら側にあって、塀の向こう側ばかり見ていてはいけない、とわかっている。どちらが良いとか悪いとかではないこともわかっている。どうやったらベストな状態になれるかも、なんとなくわかる。ただ、感情がついてこないだけだ。

誰かと会いたい、話したいとただ純粋に思う時に大切なのは、その人の収入や学歴じゃなくて、雰囲気や性格や、内側にある何かだと思う。
いてもいなくても同じな存在ではなくて、もっと話したいとか、良い刺激や癒し、私のエッセンスが少しでも誰かの心に残るような、そんな人でありたいと思う。誰かに必要とされたい。
こんな思いを抱きながらも、自由に動けない私はやり場のない孤独を紛らわせるように、独りでもできる戯れに埋もれていくしかないのか。

幾何学模様のようなこの世界で、張りつめたピアノ線の上を綱渡りのように歩く。
この線の先には、何があるのだろう。
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