Beautiful World

今年になってから、歴史や言語に興味を持つようになった。
海外の遺産や絶景をもっと見たい、沢山の刺激を吸収したいと思う反面、自国についてももっと知りたいと思うようになった。これまではさほど歴史に興味もなかった私にしては、面白い変化だと思う。
恥ずかしい話だが、外国人に日本の文化や歴史、またはそれに対する私の解釈を求められても、堂々とは答えられない自分がいる。そこに気づいたということは、大げさかもしれないが、自分の中で歴史や文化を理解するための準備が整ったのかもしれない、とも感じる。それらを知って自分の中で噛み砕くこと、そこからの表現方法を開拓することは、個人という基盤からの発信であるような気がする。

そんな歴史への探求欲と同時に湧き上がるのは、日本語への愛着である。
もちろん、英語や他の言語も習得できたら素晴らしいと思う。しかし日本に生まれ育った私は、日本語の美しさを切実に感じることができる。毎日、耐えず使用している分、当たり前で密接すぎる関係。言語とは無意識に自分の中に存在するものだからこそ、多岐に渡る表現、かなと漢字が織りなす複雑な表記、それらを巧みに操ることができる人を、かっこいいと思う。
日本人に生まれたからには、日本語を話す者として更に成長していきたい。
話す者から、操る者へ、そして司る者へ。

キャリアや経済力、外見や性格、雰囲気、仕草、気遣い。向上心、安心感、誠実さ。人の魅力が現れるポイントはたくさんあるけれど、時に、最もコンプレックスである部分、弱点や短所だと思っている部分が、最も美しいことがある。
それらは普段、お互いに隠そうとする。けれど本当はその部分こそがその人の潜在的美しさなのではないかと思うことがあって、それが垣間見えた瞬間、ハッとすることがある。
本当に美しいものは意外なほど身近に、意外なほど弱い部分に潜んでいるのかもしれない。
「自分の美しさ、まだ知らないの?」という歌詞も口ずさみたくなってしまう。
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