the free birdcage

枠に押し込まれる事に、窮屈さを感じるようになった。
人生は選択の連続でたまに混乱してしまうこともあるけれど、最終的には本心に従ってこそ見えてくるものがあると思う。
そうして見つけたブレない軸があれば、多少の迷いや鬱屈も越えていける気がする。
型破りな道でも、それで自分らしくあれるのならばいい。

けれど時に、相手にも同じ枠を求めていたことに気づく。
私が求める、居心地の良い自由は、共有できなければ意味がないのだ。
大きくて美しい鳥ほど、鳥籠に閉じ込めてはいけないのだろう。
心に描く、自由に出入りできる鳥籠は、時に飛び出すべき地点であり、時に拠り所であり、時に安全な寝床でありたい。けれどそんな鳥籠は存在できないのかもしれない。少なくとも、狭量的視点では創造できないのだろう。
ならばカタチの美しさは何処にあるのか。
変化してきたはずの私の「枠」は、未だ狭いのだろうか。
結果論ではなく、希望的観測からの座標が見えない分、もっともっと殻を破って、偏見にも常識にも捉われずに進めば良いのかもしれない。

ただ言えるのは、私ができることは受け入れることであり応援することである。
自然な直感と、支えになりたいと思える感覚を大切にしたい。
だからこそ、枠に当てはめて考えてはいけないのだと思う。
理想が現実化した途端に幻滅してしまうのは、大きな矛盾だ。
可能性という枠の拡張と柔軟性に関しては、私が成長すべき点のひとつなのかもしれない。

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