meeting point

いらない靴を処分した。
ブルーレイレコーダーの中に溜まっていたデータを整理した。
化石のように眠っていた本やCDを処分した。
英字新聞の購読をやめた。
進展のないものを追うこともやめた。

新しい勉強を始めた。
運動も始めた。
ラヴェルからショパンに移行した。
伸ばそうかと思っていた髪の毛は、切ることにした。
新しい靴を買った。
輪の中で、自分がどんな位置にいればいいのかも、知った。

食事に対する姿勢は変わらない。
興味が湧いたことに対する探究心も変わらない。
私には父も祖父もいなくて、兄も弟も息子もいなくて、恋人も夫もいなくて、叔父や甥っ子もいない。いざという時に頼れる男性が1人もいない状況も、以前として変わらない。
昔から変わらずに愛する映画や本もある。
相変わらず辛いものは苦手だし、わたしは眠りを忘れたままだ。

歳とともに時間が経つのが早く感じるようになるように、私が右顧左眄している時は、『位相』の狭間に立っているからだと、経験則から予測している。
決断すればスッキリする。なのにいつまでも決断できないこともあって、そこにある迷いは何なのだろうと、頭の糸は意図せず縺れる。
いつもは、迷ったらやる。
見切り発車でも向こう見ずでもない、一応考えてから、やる。
けれど今迷っていることについて、自分から動くことはやめておこうと思っている。
事態がどう変化していくのかを待つ。
待つのは長く感じる。待つより動く方が性に合っているが、タイミングを見極めきれない時には、待つこともひとつの手段なのかもしれない。
『ゆく川の流れは絶えずして、しかも本の水にあらず…』
行動しないという選択に対して変化はあるだろうか。時間は私をどう魅せてくれるだろう。私はどこに辿り着いて、何と出逢うだろう。
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