20%が問うもの1

立ち読みした本のある一行について、今もぼんやり考える。
「あと20%自分を磨くとしたら、何をしますか?」だ。
自分の生活をざっと振り返ってみて、ある程度の維持や向上を意識していることを確認すると、漠然とした不安と疑問が残る。ある映画で私の好きな女優が、人生の奈落へと堕ちていくシーンがあった。どんどんみすぼらしくなり這い上がれなくなる彼女はとても美しく、それは何故なのかと考えると生きざるを得ない人間の人間らしさが表現されているからなんじゃないかと思った。

個性がどうのとよく謳われる世の中になった。
人間はどうしてこうもそれぞれに違う服を着て、違うことをしているのか。
動物は新種を除いては殆どが昔から食べ物も見た目も変わらない。生態も寿命も変わらないのに、人間は何故こんなに短期間に動いて開発して生活も寿命も変わっていくのか。

鏡の中の自分が私を見る。
私はあの一行に洗脳され、あと20%の為に何ができるか考えるのか。
それは誰の為なのか。
「人目」を気にする世間と気にしない世間の間で、それは自分の為であればいいと思うのか。
違う、誰かの為であった方がいいのではないか。報酬目的ではないのに良心の呵責が起きるのなら、それは誰かの為であった方が健全な気がするのだ。