素数というメトニミー

ある記号が何かの意味を持つ時、其れを所記と能記の恣意的関係という。
言語は、文字の無数の配列に規則的な恣意性を含ませたもので、概念の枠を生み出す。
然し意思疎通の道具である筈の記号は、使えば使うほど本質と離れていく時がある。煩雑かつ無常な施行は、思考も志向も支配したかのように独り立ちして歩いて行き、その収拾さえ未到になる事もある。
ならば記号の在り方とは何か。
意志を如何程に含ませれば翻弄されないのか。或いは意志も意思もない記号が果たす役割とは何か。
そんな脳内回路を彷徨った事もあった。
だから口から零れた柔らかくも切ない言葉に対して、帰趨を既に暗喩しているかの様で、唯、頷く事しか出来なかった。

然し「しるし」は何処かに隠れているのかもしれない。
それは既存の必然性を彷彿させる、圧倒的存在感で示唆する記号であって欲しい。其処に恣意性が無い程、人生の緻密な意図を感じる気がしていた。
こんなに計算をしたのは何時以来であろう。
私が見つけたのは、あまりにも美しい素数だった。
気づかないだけで、遠い昔から目の前に燦然としてあったギフトに見えた。
いつかの挿話にまで連鎖して行く様な記号は、内なる余情に乗せて記しておきたいと、そう思った。
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