言葉論(デュークの庭編)

犬のデュークは散歩が好きで、飼い主が連れて行ってくれるお気に入りの原っぱがある。デュークはよくその原っぱへ行き、ハーネスを外して貰い、自由に遊ぶ。
原っぱは陽当たりが良く草の匂いと穏やかな風に満たされ、妨げ無く走り回ることが出来た。飼い主は、ベンチに座ってその様子を眺めていた。
原っぱのすぐ横には道路があった。暫く先まで信号も交差点もない長閑な田舎道だからあまり車は通らなかった。然し原っぱと道路の境い目には、柵も塀もなかった。
デュークは時折、蝶などを追いかけて夢中になり、車道に飛び出そうとする事があった。けれどデュークは一度も飛び出して危険な目には遭った事がない。
車が通りかかる時もあった。
飼い主が気づいても、追いつかない時もあった。
でもデュークは、自分の意識や注意とは別に、絶対に車道に出る手前で止まる事ができる。
其れは何故か。

かつて「一年に一度、読み直す本と出逢う事」は生きて行く上で大切だと誰かから聞いた。
私はそんな本と8年前に出逢い、以来毎年一回は読んでいる。
最近、8回目を読み終えた(そういえば何時も読むのは冬かもしれない)。
其処には、私が何度でも再確認しなくてはいけない大切な事が書かれていて、必ず涙が零れ落ちる。
言葉では説明出来ない事が、言葉で書かれている。
言葉に成らない感情と真実が、言葉に依って彷彿される。
言葉に詰まる程の瞬間が、胸を突く。

デュークが何故、車道に出ないで済むのか。
その答えは人によって違うだろう。
私も私なりの答えは持っている。
ただ其れをシンプルに受け入れる事が、意外と私を悩ませる。
f:id:saya34363856:20150116202621j:plain