エルミタージュの900日。

人は、何を得た時に心が満たされるのか。1941年のサンクトペテルブルクを想いながら、こんな疑問を持つ。

「900日の包囲」は悲惨な史実として知られている。兵糧攻めにあい、平常心と理性を失う瀬戸際を行き来する900日は想像を絶する過酷さだったであろう。
そんな中、エルミタージュ美術館では残されたスタッフたちが、空っぽのそこを毅然として守り続けたという。
100万点を越える作品群は、安全な場所へ輸送されて無失無損のまましっかり保管されていた。一方、主役がいなくなった美術館は放置されるどころか点検や補修を欠かさず管理され、更には本来あったはずの作品のガイドツアーも幾度と敢行された。人々は空壁を眺め、しかし熟達したスタッフのガイドにより、ないはずの絵画を確かにそこに観た。名作に触れた時の感動と充足感を、感じ取り共有したという。

飢餓に苦しむ現実の中、人々は何を求めたのだろう。そして空額ガイドツアーは、何を与えたのだろう。
このツアーに関する資料はほとんどなく、また実際に経験した人も今となってはごく僅かなはずだ。時間と共に知りづらくなる史実があるのは致し方ないのかもしれないが、この900日の包囲の内部にあった事実を知った時、私は何かを感じずにはいられなかった。
プロセスも結果も、捉え方次第で得るものが大きく変わることに、繋がっていく気がした。
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