お兄ちゃん

山奥の深い森の中に、我が家はあった。
電気もガスもない時代のことだ。
隣家とは少なくとも数百メートルは離れていて、夜になると恐ろしく暗いが星空が美しかった。
私は両親と、兄と暮らしていた。
原っぱの中にぽつりと建てられた木の家は想像よりも全然寂しくなくて、自然に囲まれてのびのびと育っていたはずだ。

大好きな兄は、親の目を盗んで私を虐めた。
彼はその頃どんな気持ちだったのかわからない。本物のサディストだったのか、思春期のフラストレーションか、寂しさの表れなのか、歪んだ愛情なのか。
私は兄に逆らわなかった。
どんないたずらをされても、微笑んで受け入れた。
私は兄が怖かった。
けれどそれは、嫌いだったからじゃない。
兄はいつもイライラしていて、けれど私はそんな兄が大好きで、嫌われたくなくて、彼の全てを受け入れたくて、黙ってそれに従った。存在を無視されるよりマシだった。両親にも何も言わなかった。それが兄に対する服従であり、私なりの愛情表現だったし、かまってもらえることが喜びだった。
ある日の夕食の後、兄は私を家の外に連れ出した。
あたりは真っ暗で、虫や夜行性の鳥の鳴き声がうるさいくらいに聞こえた。
兄はいつもの延長だったはずなのに、その時二度と取り返しのつかないことをしてしまった。ここまでエスカレートしては、親にバレてしまう。私はどう庇ったら兄が責められずに済むか、そればかりを考えていた。
それでも私は、失ったよりも得たものの方が大きいような気がした。

という夢を、7,8歳の頃に見たことがある。子供の頃にたった一回見ただけだが、あまりにも強烈だったのでいまだに忘れられない。
まだ子供の私には歪んだ愛情も暴力もまるで知らなかったはずで、しかも私には兄はいないので兄への気持ちなどわかるわけもなく、なのにいろいろな感情がリアルに湧いたあの夢を、ただの夢とは思いきれなかった。
大人になった今もあの夢をたまに思い出すと、心がザワザワする。兄と私の間にあった、途方もなく歪んでしまった愛情を。それでも嫌いになれなくて、受け入れてしまっていた抑圧された複雑さを。
兄はあの後どうしたのだろうか?
私はどうしたのだろうか?
今だったらはっきり言えるのだろう、しかしあの夢を見た頃の私は幼く、夢の中の私も幼かった。
好きで好きでたまらなくて、それがゆえに何も言えなくなってしまうところは、今も変わらないのかもしれない。
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