100%の答え

僕は、こんなことを考える。

小学5年生のある日、僕は体育館でバスケットボールをしていた。
放課後の体育館はネットで半分に仕切られ、向こう側ではバレーボール部が熱心に練習していた。
シューズの擦れる音とボールの弾む音が響く。
こちら側で僕と同級生はオフェンスとディフェンスを交互に、ゴールの周りをただ、じゃれあってウロウロしていた。シュートが決まっても、外れても笑い合った。同じことを延々と繰り返すだけで楽しかった。
僕は、ステージの隅に座る君に声をかけた、一緒にやろうよ。
君は両足をブラブラさせて僕たちのことをぼんやり眺めていたから、退屈なのかと思ったんだ。
君は、はにかみながら断った。
下手だから、と。
僕はそれでもしつこく何回か誘ったけれど、結局君は参加しなかった。
最後まで、微笑みながら僕らを見守っていた。

ねぇ、君はあの時、本当にやりたくなかったのかい?
それとも、やりたかったのに遠慮してたのかい?
僕は今になって、そんなことを思い出すんだ。そして君の本音が聞きたいと、今思うんだ。
どっちにしてもあの時君は参加しなかったし、それは事実であってこれからも変わらない。
けれど君は本当はやりたくて、でも恥ずかしくて頷けなかったんじゃないか、と勝手に考える。その本音は、僕にとって100%の答えなんだ。だから確かめなくてもいいんだ、けれどその100%の答えを聞きたいと思う僕は、確かめようのない現在に、どうしようもなく途方に暮れるんだ。
100%であったことに、たまらなく愛おしくなるんだ。
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