子供の頃、たまにお手伝いとして靴磨きをしていた事をふと思い出した。
父も母も沢山靴を持っていたが、主に父の靴を、5足くらいずつ磨いていたと思う。
使い込まれた道具が入った工具箱を出し、ブラシで埃を落とす。靴の色に合ったクリームを選び、塗り込む。更に仕上げ用の艶出しクリームも塗る。縫い目や革の継ぎ目は、クリームが溜まらないように気をつける。丁寧にやれば綺麗にできるし、無心で頑張っていたように思う。ご褒美のおこづかい欲しさではなく、革の香りや魔法のような道具類に魅了され、いかに美しくできるかに夢中になっていたように思う。
今もたまに自分の靴を磨くと、気持ちがいい。

私の好きな小説の中にこんな靴が出てくる。足に合いすぎて、足を侵していく靴。履きすぎると境目がわからなくなっていくくらいで、なかなか出逢えるものではない靴。
この小説の中では靴というのは重要なメタファーになっているので、いろいろな意味を含ませての表現なのだろうけれど、足と一体化してしまうほどの靴はきっと、1ミリの隙間もなく滑らかでエレガントで、怖いくらい魅力的なのだろう。

そういえば、子供の頃は路地の隅にいた靴磨きのおじさんたちを、近頃は見かけなくなった。時代の変化なのだろうか。
一度くらい、お気に入りの靴をプロの腕に磨いてもらいたかった、と少しだけ思う。できれば店舗を構えた専門店などではなく、靴墨で真っ黒な手をした無愛想なおじさんに…。
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