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ここでこの一言を言ったら、何か変わるだろうか、と思うことがある。
様々な相手に、様々なシーンで。
実際、たった一言が相手を傷つけることもあれば喜ばせることもあるし、その距離感や関係性が変化することもある。
メールのように相手の表情が見えない時には言い方に気をつけるようにしているが、顔を合わせている時には恥ずかしくて素直になれなくて、真逆のことを言ってしまったりする。
直球でいこうか変化球でいこうか。
感情的になるか、冷静でいるか。
素直にいくか、歪曲させるか。
なかなか難しい。
そんな内面の葛藤を抱えつつも誰かと心を通わせたくて、私は試行錯誤する。
一人の時間も好きだし大切にしているが、心を開ける相手との時間も貴重である。狭く深く付き合うタイプなので、友達は少ない方だけれど、皆付き合いが長いしありがたいことに私を理解してくれている。
そんな友人や家族に支えられて、今ここにいる。

それでも日々、発言に怯える。
言いたいことが沢山あるのに、言えなくなったりする。
私は言葉を使って、何を求めているのだろう?
相手とのコミュニケーションで、何を得たいのだろう?
自分を理解して欲しいのか。
相手に何かを求めているのか。
何かを共有したいのか。
相手に何かを求めることが、いつしか自分の思い通りに動いてほしいというコントロール欲に繋がってしまいそうで、その境界線をいつも探してしまう。
人のことは変えられない。
変えられるのは自分だけ。
そう、考えるようにしている。
言葉のチカラは大きくて、繊細で、微妙だからこそ、扱うのが大変であり、ちょっとしたことでも伝えるのが難しい。
どんなに訴えても伝わらないこともある。
そんな時は口をつぐんでしまう。無言の壁を作って身を守り、コミュニケーションすら絶ってしまう。
不当な攻撃を受けた時にはそれもひとつの防御策だと思う。
けれど結局私は、沈黙の海に一生潜ってはいられないのだと思う。失敗したり傷ついたりしながらも、何度も挑戦したいのかもしれない。怯えながらも心を開こうとしている。そして相手にも、心を開いてほしいと思っている。人の考えていることが知りたくて、私の考えていることを知ってほしいと願っている。
言葉を選び、表現を変化させつつ。

ある同じ感情も、表現を変えれば伝わるだろうか。液晶画面に映る文字という記号に、色や書式、大きさ、太さで変化をつけられるように。
そうやって言葉を探して、今日も私は模索している。
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