requiem

父の仕事がまだうまくいっていた頃、我が家には日本に2台しかないグランドピアノがあって、少し照明を落とした洋間でウィスキーを片手に、彼はアドリブでジャズを弾いていた。
彼は野心家で仕事熱心で、付き合いを兼ねた遊びも多く、ゴルフが得意で饒舌だった。一晩に百万円以上も使い、夜中に代行車で帰って来ていた。バブルの頃の話だ。
恋人や友達なら、楽しかったと思う。
でも娘の私は、父が内側に抱えていた気持ちを敏感に感じとってしまっていた。日々のイライラやストレス、葛藤。
だから私は、幼い頃から近寄りがたく、いつもガラス張りのドアの向こうからそっと、心ここにあらずな横顔を見ていた。彼の機嫌をうかがってはビクビクしていた。
家族のことをあまりかまってくれない寂しさは、やがて反抗期や思春期と重なり、その頃は既に一家が苦労しているのも合間って、私は反発し、拒絶し、軽蔑さえした。

病気のことも、余命わずかになるまで隠していた。ストレスと闘いながら、1人で吐血していた。
父親として、弱い部分を見せることは恥ずかしいことだったのかもしれない。もしかしたら、誰にも完全には心を開けていなかったのかもしれない。
そんな父と本当に和解できたのは、彼が亡くなる数ヶ月前のことだ。
病気で衰弱したおかげか、やっと自分の弱さを見せてくれた。荒々しさを失ったことで、私への愛情も素直に表現してくれた。最期の数ヶ月間、私は父の愛人に間違われるほど仲が良かった。
でも今なら少しわかる気がする。父が成し遂げたかったことや、ひたすらに隠した弱い部分、男としての野心やプライド、わがままだけれど譲れないところ、彼は彼なりに自分の妻と子供を大切にしていたこと…。
今なら応援できるのかもしれない。
彼をもっと理解したいと、思えるのかもしれない。

時間をかければ、わかることもある。
親子関係も人間関係、時には酷く縺れて絡まり、時にはしっかりと結ばれる。
彼の気性の激しさとは裏腹に、夜中のピアノはせつなくて美しかった。
あの旋律をまた聴きたい、とたまに思う。今聴いたら、あの頃よりは少しだけ成長した私が、違う繊細さを感じ取れるかもしれない。
でも、もう二度と聴けないんだ。
だからこそ、今の人間関係を大切にしなくちゃいけない、と思う。
結局思い出すのは、高価なプレゼントよりも、私のことを考えてかけてくれた優しい言葉や、会うために作ってくれた時間、喜ばせたいと私のことを考えてくれた心そのもの、だからだ。
私は大層な人間ではないから、豪華なことはできないけれど、小さな積み重ねを大切にしていきたい。
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