into the 眠りの森 後編

前回のつづき。

ストレスを発散させ、心のバランスをとろうとするチカラのことを便宜上、自己治癒力と呼んだ。そして自己治癒力をサポートするもの、いわゆるストレス発散法は人によって違い、様々なものがあることも書いた。
ただここで気になるのが、前回も少し触れたがストレス発散と依存の境界線である。趣味や息抜きも、度を超えれば依存になる。今度はそれがないとストレスが溜まる、というような逆回路が作動してしまう。
何事も節度とマナーの中で楽しむなら良いと思う。けれど病気や犯罪にまで発展してしまうのなら、それは依存と言わざるを得ないだろう。
私は何かに依存してしまうのがとても怖い。だからできるだけ、傾いたり歪んだりしないように気をつけているつもりだ。
お酒はもともと飲めない。
タバコは禁煙してもうすぐ3年。
ギャンブルには興味がないし、暴飲暴食もしない。
浪費もあまりしないし、生活も規則正しい。
本当は、クラブに行きたい。音の洪水の中で、何も考えずに一晩中踊りたい。心が自由になる瞬間だ。クラブにいる時の私は、まるで別人だと思う。
けれど今の生活では、めったにそういうことはできない。
だから自分ができるストレス発散をしながら、何かに依存してしまわないようにコントロールしようとする。きっと、いつもバランスのとれている人に憧れているのだろう。
けれどもしいつかタカが外れたら、抜け出せない何かに囚われてしまいそうだ、と思う。
でも問題なのは、何かに囚われてしまうことより前に、バランスをとりきれていない自分がいるかもしれないということだ。
いつも満たされた状態でいること、穏やかでいることは難しい。日によって疲れる時もあるし、イラっとすることもある。けれど「何かに頼ってはいけない」という自分への義務そのものが重荷になっているのかもしれない。
平気なふりをしていても、いつもギリギリなのかもしれない。



だから私は、眠りの中へ逃げていく。
特に、心がザワザワするような夜には。 
他にも発散法はたくさん知っているけれど、夜、考えが暴走しそうな時、不安な時に話せる相手が近くにいなければ、私は慌てて眠りの中へ逃げていく。
とある理由から、私はほとんど夢を見ていない。
心の中に、夢を食べるバクが棲みついているようだ。
だから夢のない眠りの森へ、ただ、深く深く身を潜める。
他からは補えない何かを埋めていくように。
そんな私は可笑しいだろうか。あまりに未熟だろうか。「寝て忘れる」ことは誰でもしていることだろうか。
いつかバクを解放してあげたい。平和な眠りと夢を取り戻したい。
けれどもうしばらくはせめて、何もない眠りの中へ安らぎを求めることを、自分に許可したい。


ふぅ、今日は暗くてすみません(笑)
え、いつも暗いって?

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