visual dominance

人にはそれぞれ優位感覚というものがある。視覚、聴覚、触覚、言語感覚と大きく4つに分けることができ、自分や相手のの優位感覚を知ることでコミュニケーションに活用できたり、効率よく学習したりすることができる。
例えば、聴覚優位の人は音楽が好きだったり、物音に敏感だったり、メールよりも電話が好きだったりする。触覚優位の人は、服のデザインよりも着心地を重視したり、物事を論理よりも直感で決めたりする。人によっては優位感覚がひとつだけではなかったりもする。
これについては様々なサイトで取り上げられているし、自分の優位感覚が何なのかを簡単にチェックするテストもたくさんあるので、まだ知らない方にはぜひそれらを試していただきたい。
私はこのことを今年になってから友人に教えてもらい、自分の優位感覚を知った。私は完全に視覚優位である。それに加えて、言語感覚にも少し特化している傾向があるだろう。
私は映画や写真、絵本などが大好きだし、服も着心地よりもデザインで選ぶ。家電や家具もデザインで選ぶことが多いし、電話よりもメールを好む。
人には優位感覚があること、それによってものの感じ方や選び方が異なることを知ったのは、とても革命的であった。
家族や親しい友人と、何かを選ぶ基準が違う理由がわかったからだ。
こういう見方を学ぶと、自分の主観を人にも当てはめてしまうことが減り、確かにコミュニケーションをとるうえでは楽になったようにも思う。
また、自分の癖や偏りにも気づきやすくなった気がする。

私はこれまで、美容院でシャンプーをしてもらう時に顔に布をかけられるのがとても嫌だった。あるいは歯医者でも、治療の際に目隠しをされると無償に怖かった(過去に一度だけ、水が飛ぶからという理由で目隠しをされた)。でもそれらは、皆が同じく嫌な気持ちになるものだと思っていたのだが、どうやら違うようだ。
私は視覚優位なので、視覚を遮られると途端に不安になる。視覚から得る情報が極端に多いので、無意識のうちにそこに頼っているらしい。だから視覚を欠くことは、とても無防備になったように感じてしまうのだろう。
そのせいか、昔から目を酷使していたことで極度の近視になってしまったのは、皮肉でもある。
そもそも、近視もそうだが私は目が弱い。疲れが溜まったりするとものもらいができたりするし、今年は緑内障の疑いで精密検査も受けた。
幸い、異常はなくて安心したが、若年者でも強度近視だと緑内障のリスクは上がるらしい。
これ以上視力が失われると、視覚優位の私にはなかなか辛いことなので、目は大切にしなければならないな、と健康のことを考えるのは、そういう歳なのだろうか…。