有能な本能

ゴルフ場などでは、動物園で出るライオンなど肉食獣のフンを譲り受け、グリーンの隅に撒くという。すると、野生の鹿などが近づかなくなるそうだ。
この話の面白いところは2つある。ひとつめは、動物のフンには肥料以外の用途があり、動物園がどのように処理してるかがわかるということ。ふたつめは、日本で生まれ育った野生の鹿は、本物のライオンに襲われるどころか遭遇したこともないのに、フンの匂いだけで危険を察知するところである。
今回はこのふたつめの点について、少し話を広げたい。
この場合、シカが察知する危険信号は経験に基づくものではなく、明らかに本能である。なぜなら日本で育った鹿は、本物のライオンがどういう動物なのかを知り得ないのだから。鹿のDNAには、何が危険かを判断する基準がしっかりと刻み込まれているのだろう。鹿はその本能に従い肉食獣のフンを避ける。

17歳のクリスマス直前のある朝、いつものように学校に行く支度をしていた私は、これまでに感じたことのない胸騒ぎを覚えた。それは悪寒にも近い、ザワザワとした心の喧騒だった。なんとなく学校に行きたくなくなった私は、母に休んでもいいかと尋ねた。母は、特に体調が悪くないのなら行きなさいと、当たり前の返事をし、私もそれに従った。
家を出た2分後、私はバスに轢かれて3ヶ月も入院した。
後にも先にもあの時だけ感じた胸騒ぎは、直感、本能に近かったのだと思う。

人間の本能は学習や経験に基づく理性によって、ほとんど発揮されることがないと言われているが、時として自分の中に潜む何かが作動することもあると、私は思う。何の根拠もなく惹かれる場所や会いたい人、あるいは突き動かされる衝動がある。そんな時には、常識や周りの目や経験にとらわれず、その直感に身を任せてみることも悪くない。逸脱した衝動には不安がつきものだ。実際に私も、理性に頼ることが多い。こうした方が常識的だろうとか、周囲の目を気にしてしまうのが常だ。けれど心の奥深くから訴えかけるものがある時には、一旦はそれに耳を傾けてみようかと思う。様々な懸念を一蹴した先には、晴れやかな景色が広がっているかもしれない。

ライオンのフンに怯える鹿の本能を、私はむしろかっこいいと思う。