眠りのエトセトラ

そもそも「眠り」に心地良さを含めて味わえるようになったのが最近のことであるから、そのせいかもしれない。
しかしそれにしても私の眠りの周りには、シンプルかつ機能的なものしか並べられておらず、改めてこうして眺めるとなんとも魅力に欠けて見えるのである。
ただ、そのことにすら気づかなかったのは、まるで何年も忘れ去られていたかのごとく意識の彼方に肩身狭く佇んでいたからであって、それはもう毎日の営みを共に繰り返してきたとは思えない間柄だったのかもしれない。

例えばシーツを替えたり枕カバーを替えたりすることで、夜に漂う香りや流れる時間や、ビロードのように揺蕩いながら押し寄せる眠気なんかの質も変化していく、その気配を全神経を集中させて感じ取る瞬間、逃してはならないと様子を伺う瞬間がまた、暮らしを彩って潤沢なものにするひとつの要因であることを知ると、なにか流れる日々の秘密をこっそりと打ち明けられたような気になって心が静かに躍るのだ。

無意識の時間にかける価値は如何程のものか。
ただ穏やかで愛おしい流れに身を任せる時、自分にあと少しの心地良さを添えてみること、そんな小さな事においても楽しみ方を知ってきたように思う、春の夜深。